2014年1月24日金曜日

@ ノアの生き方。創世記6章

6章に入って3つの記録が 目にとまります。

人の齢が短くなる。

3節には、人は、その生き方に責任が問われる事、責任を負わなくてはいけない。
神に捧げて人生をおくる責任があります。身勝手な生き方を神は好まれないのです。

500年から1000年 生きていた人は、神の意志で,120年を境目前後。制定され変更されます。3節 神の子たちがあまりにも気ままに結婚することから風紀の乱れを憂いをされた神様がおられます。

申命記      新共同訳
32:5 不正を好む曲がった世代はしかし、神を離れ/その傷ゆえに、もはや神の子らではない。32:6 愚かで知恵のない民よ/これが主に向かって報いることか。彼は造り主なる父/あなたを造り、堅く立てられた方。

神の意志に従った人健康的に生きた人は、この地上でも120年以上も長生きしていた記録もあります。  神の意志を変えるほどに,当時も・・現代も・・悪い時代に入ってきているのかも知れません。

   神の心「私の霊は、永久には人には留まらないであろう。」神は,私達一人々に注視して忍耐もしておられるのです。

5節には、『ご覧になったとも書かれています。』

神の憂い、悪がはびこる時代

 4節からは、ネフィリムの身勝手さがが神の心を損ねたこと,心痛められたこも書かれています。

8節から登場する  ノアが主の心にかなっていたと書かれています。
「朱に交われば赤くなる。」と,ことわざが示唆ように。 罪の生活を続けていると感覚が麻痺してきます。それが当たり前のようになっていきます。それが廻りにも影響を与えていきます。神の心から離れた生活をしている人々の中で、一人だけが正しく御心に叶った生活をすることが困難だったのです。

                   

神の心にかなうように努める

 しかし、ノアだけが,神の心にかなっていたのです。8節には「ノアは、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神と共に歩んだ」と書かれています。
たった一人が・・ノアだけが正しい人であると認められる。周囲の人々は一体どの様な生活、心で過ごしていたのだろうか? アノだけしか残っていなかったと・・神の深い悲しみ落胆は・いかなる物だったことでしょう。 
罪を犯したアダムから受け継いだ・・祝福と罪の報酬・・気を付けて各自の心を見張る事をしないと・・悪の想いが増大することも6:5には暗示されています。
さて、ノアの心にも,この性質は受け継がれていたのです。けれど、彼は努めて悪い事にも心寄せないで、彼が意識してそれらの悪い事から恥ずべき事からも距離を置いていました。義人と認められるのは、当時はノアだけでした。
今日。神の目を喜ばせている義人は何人居るのでしょう?
神の赦し。十字架の購い無しでは,義人は一人も居ないのです。

ロマ 3:10 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。

キリストの血の代価で,買い取られた私たち。クリスチャンは神に感謝を日々すべきです。

ロマ 1:17 なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。

Ⅰペテ 3:12 主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は、悪を行う者に立ち向かう。」

  ノアは最初から義人としては認められていなかったのです。しかし、神に近づき、御心に叶った生活を続けていきたいと強く願っていたことが。彼の周囲を取り巻いていた悪のの環境からも,逆に理解できます。 誘惑には弱い私たちですが、 ノアのように神の認められる生活を送れるように祈り神の助け・・私たちの助けてで在る聖霊様を,日々の生活の中に歓迎して、そのお声を聞き分けられるように訓練していきましょう。


ヨハ 14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。

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