2014年1月13日月曜日

@ 捧げ物の心 創世記4章から

 捧げ物の心

創世記 4:3 ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来たが、
 4:4 アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た。主はアベルとそのささげ物とに目を留められた。4:5 だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。


  私たちからの捧げ物を、神様は喜んで受け取って下さいます。
しかし。その心根。私たちの隠れている心底を見つめておられるのです。私たちには嬉しい事であり、吟味される私たちの心底に良くない想いがあるのならば・・形だけの捧げ物。何かやましい心を持ち合わせていたとしたら・・その捧げ物は、神様をとても悲しませる結果となります。

 
神様は何故?アベルの捧げ物を喜ばれて、カインの捧げ物を拒否なさったのでしょうか?
  神のお心を確かめることは出来ませんが・・
羊・・初子は羊飼いにとっての労働における最大の喜び。しかも、初子の中から,考え 考えて・・思案し尽くして・・最上の子羊を選びました。(沢山いた羊では無く、少ない羊の初子だった可能性があります。後に・・イサクヲ献げた,アブラハムの心情にも通じています。)

  一方、カインは地の作物から選びました。カインの心情推し量る言葉は書かれてはいません。聖書に書かれていないアベルへの神からの賞賛の言葉が、カインを逆上させた可能性もがあります。カインは反省、悔い改める事も出来た選択を、間違った選択をしてしまいました。その結果。弟殺し、人類初の殺人がおこなわれてしまいました。

 このアベルとカインの真実は、私たちが神に捧げ物をするときの警告でもあります。
神様は、私たちに自由を与えて下さいました。その自由によって、神に感謝の捧げ物を出来るのです。
その自由に寄って、最も愛する人に、何か・・自分の気持ち。心を伝えるために、何かを贈るとすれば、色々考えて最良の手段や品物を選びに選ぶようになるでしょう。
同じ献げるのであれば、神様に喜ばれたいですね。


アブラハムの捧げ物
アブラハムが戦いにでて、敵からの戦利品の10分の一を,彼自身が決めてシャレムの王メルキゼデクに<いと高き神の祭司であった。>捧げ物をしました。
  
創 14:20 あなたの手に、あなたの敵を渡されたいと高き神に、誉れあれ。」アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。

出エジプト記 レビ記の時代には,捧げ物の十分に一は、ユダヤ人の中では慣例化 律法敵に変わっていきました。

  ダビデは,幕屋の神殿で讃美の生け贄を・・ソロモンもその神殿で讃美の生け贄・・心の生け贄を献げて、神はその喜びを神の霊で、神殿を満たされました。

やもめは,その日。食べる分の生け贄、献げ物をして,イエス様から金額や品物では無い,その心を喜ばれました。

 一端。献げた献金は神の物です。厳粛に扱わないと,その罪は私たち自身に降りかかります。信仰によって、導かれ献げた献金には,神からの祝福が伴います。
  
献身に 人生の捧げ物

献身は何も、牧師 司祭や神父だけでは成りません。それぞれの人生を神に捧げることが献身です。
職業を選ぶときには、与えられた環境、賜物、趣味趣向 あらゆる事 条件から自由に選び出して職業を選び,神に献げる仕事選びをするならば,それがあなたの献身と成り、神からの祝福を受けるのです。神は、私たちを祝福なさりたい。これが本心です。

 神様は、私たちの真摯な心や態度。悔い改めを大層喜ばれます。逆に、神の愛と契約と拒否するならば・・それは永遠の死です。 神はとても素晴らしい愛を人生を与えられます。
愛を注がれる反面。妬む神、厳しい裁きの神で在る事を覚えて頂きたいのです。

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