2014年1月5日日曜日

@ 目には麗しく、その要素は?創世記3章

アダムとエヴァはエデンの園で、

 ある日、サタンは エバに1つの実を指し示して、「神はあなたにエデンの園にある全ての実を食べてもいいと言ったのですか?」
と問いかけました。

 神様と親しく交わり、恵まれた環境中で食べることにも困らずに生活していました。アダムとエヴァはエデンの園で自由に木の実を生活をしてたのです。

豊富な木の実が有るために、神様が言われた食べてはいけない木の実には強い関心、注意が薄れていたような気もします。


2:16 神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
 2:17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。


サタンはそこを突いてきました。

木の実を観て下さい。」大勢あるものの中から1つのものに注視せたのです。

エヴァの心は1つのみに注目してしまいました。その注目度は神の言葉を忘れるほどでした。神様から直接聞いていたアダムも神様の言葉を忘れてしまいました。

3:6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。

思うに私たちは見ることからまた聞くことから強い関心を抱くようになります。見てみたい!触ってみたい。食べてみたい。いろんな願望から欲望に変わっていきます。してはいけないとわかっていても、欲望に負けて第一線を超えてしまうのです。

1つのことにこだわりすぎると、心が病んでいきます。失望感を抱いたとしても、気持ちを切り替えないと、1つのこだわり願望に変わったとき。心が病む原因の1つになるのです。

9私たちには実に麗しい事。ためしたい事がたくさんあります。
自制を失ったとき、れは罪に変わる。

アダムとエヴァは、様から直接の声を聞いていたことさえも忘れてしまったのです。私たちは、理性を失ったとき、すべてのことが、自分自身の目に美く感じてしまうのです。

あなたは今どこ見ていますか。「神様から目を離さないで」いう言葉もあります。

ヘブル 12:2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。

神様から目を離すことによって本来持つべき神の約束 祝福を失うことになるのです。

ある人はこのように言います。キリストを信じたけど良いことがなかった。その心の中にはキリストとまた別の物を見比べていたのではないでしょうか?神様が本当に見てほしかったところを見ないで別なものを見ていたのではないでしょうか?

前記のブログのように、あなたはどこにいるのかと神は私たちを探しておられるのです。

私たちを探しておられる神様のもとに帰りましょう。


イザヤ 59:1 見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。
 59:2 あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。

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