2014年1月17日金曜日

@ 神が取り上げたエノク 創世記 5章より


  神が取り上げたエノク
 創5:24 エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。

  創世記5章に入ると人名系列が書かれています。それぞれ1000年近く長生きしています。その中で一人だけエノクは死んだとは書かれないで,神が取り上げられたと書かれています。 彼エノクは神とともに歩いたと書かれています。 英語聖書 Today’s English Versionではこの様に書かれてありました。
Gen 5:24 He spent his life in fellowship with God, and then he disappeared, because God took him away.

   his life in fellowship with God, エノクの人生は、神の教え従って歩いた以上に、神様との交わりに尽くしていた生き方だったことが表現されていました。


  Going my way 我が道を行くでは無い生き方でした。
 まさに、  My way of life that is in God 神の中にある私の人生・・と言う生き方です。



 エノクは、日々。神様の意思を聞きながら従っていた様子がうかがえます。ある日だけ、ある時期だけを神に従っていたのでは無く、彼の長い人生の全てを,神に付き従っていたのです。
365歳の時に「神に取られた」のです。エノクという意味は従う者の意味。

  一発屋とか花火のように,一瞬輝いた人生では無く、毎日が神に従い歩き、輝いて今のです。私は、アメリカの日本人教会を巡回して伝道したことがあります。

 その一つの教会は、アメリカ人の教会堂の一部を借りていました。沢山の小礼拝堂と共に2~3千人収容の体育館ほどの大きな礼拝堂がありました。その大きな礼拝堂を建てざるを得なかったリバイバルが去って仕舞い、集まる人は1000人に満たないと聞きました。
  
 その会堂の中心に座って祈ったときに、神の計画という言葉が心に響いてきました。

神の御心に従って計画を立てることを,私たちは忘れてしまうことが如何に多いことでしょうか?

 神に従ったときには,聖霊の風は吹きますが、教会員や指導者が,少しでも御心から逸れると、聖霊は御心の好み所に向きを変えてしまいます。

 生きている間の全ての日々を,神の御心に従い歩く事が,私たち人間に困難な事と思います。それは、各々が自分中心に考えて,思考して生活することが楽になる性質が、アダムの罪からの遺産・心根が引き継がれてしまったのです。

 神にに従うことは日々。自我との戦いの戦場に行くことです。
エノクはその戦いに勝って,御心中心の人生を委ねたのです。神はそのことから、死んだのでは無く、神の側に引き寄せられたのです。アダムには与えられなかった恩寵が、エノクには当たられたのです。

 私たちの少しでも神に近づく生活をしていきましょう。その決心に聖霊様が、私たちの助けてとして,キリストに変わって多くの天使と共に来て下さいます。
少しでもエノクのように,人生を生きて終えたいと思いませんか。

神様は一人一人の名前を覚えて記録なさいました。
私たちの名前も同様に覚えて下さって,生き方も見ておられることは非常に感謝な事です。


*エノク書という聖書外典があります。エノクが天に上り神の書記官として用いられて,天国の出来事を地上に示したと書かれた内容です。けれどその内容を,主イエス様は一切。(外典からは)引用なさいませんでした。主キリストに習って外典から引用したり説教をすることは避けたいと,私は思います。





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