はカインに、「あなたの弟アベルは、どこにいるのか」と問われた。カインは答えた。「知りません。私は、自分の弟の番人なのでしょうか。」
神は弟アベルはどこにいるのか と カインに尋ねました。
この質問はエデンの園でアダムに問い掛けた言葉です。
カインとアベルは、その両親アダムとエヴァのように親しく神との交わりを保っていました。
忽然とアベルが神の前から消えたので、神様は心配なりアベルの所在を兄に尋ねたのでした。
私は弟の番人ではないと言って拒絶します。
私たちは隣人に対しての責任があります。神様を礼拝に導き、その愛の素晴らしさを分かち合う責任があります。カインはその責任を拒否したばかりでは無く、人類初めての殺人を犯してしまいました。
神が、私たちの一人一人を気にかけておられる大切な言葉。『あなたはどこにいるのか。あの人はどうしてるのかです』。
いつも神様は私たちのことを気にかけてくださっています
聖書を見るとたくさんの名前が開かれています。神様は一人々の名前を覚えて気にかけておられる証です。
私が個人が救われただけではなく、私たちの両親 兄弟 友人 職場の上司や同僚たちにも、神はその名前を知っておられます。私たちのが十字架の福音、救いを伝える事。
神は愛しておられることを伝えるのは,私たちの責任範囲だと思います。
『主を信じなさいそう。すればあなたもあなたの家族も救われます』この言葉はとても有名ですね
また同じ信仰、クリスチャン同士が励まし合い、足を洗い合う責任が、私たちの信仰の交わりに含まれ展開されていくことが大事だと思います。
有るブログでは教会や牧師を非難する掲示板を見かける事も在ります。一旦インターネットに書き続けるなら、その記事は半永久的に残ります。足を洗い合う事は、責め合うことではありません。
目に見える者を、愛せない人は、直接。私たちの目で見ることができない神様をどうして愛することができましょう。
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