2014年3月5日水曜日

@  NO1 創世記の覚え書き。

今まで各1章ずつ書いて、バベルの塔の記録まで来ました。

もう一度。繰り返してポイントを繰り返してみました。

生きる目的、生き甲斐を持とう。

 初めに神は天と地を創造した。 聖書 創世記1章1節

神はこのように、人をご自分の形に創造された。神の形に男と女を彼らを創造された。

神はまた、彼らを祝福し、このように仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。・・全ての生き物を支配せよ。』 創世記1:27~28

 神は7日間で天地を創られて、人を神の形に似せて作られました。

またエデンの園を設けて、人に住まいを与え、食べ物も豊かに与えられました。

 人は創造の神の守りの中で、安息に生活が出来ます。また神様と交わり会話楽しむ存在でした。 人には必ず、安息できる場所があります。 また神から託された生き方と同時に目的があります。 現代になっても、その事には代わりはありません。 エデンの園は、現代からは見せなくなりました。しかし、神は同じように、私たちに対して願っておられます。

人々は必ず、安息する場所が必要ですし、人生を豊かに生きる目的が必要です。必ずしも経済的に恵まれることばかりが、豊かな人生というのではありません。生き生きとした人生を生きるためには、神との交流は必要です。また人生の目的、使命を持つことが大切です。高齢になっても、同じです。 比較的に、日本人は高齢になると、自分が死を迎える事だけを考え始めますが、本来は高齢であっても、『私は神によって生かされている。』という考え方を持つなら、死を待つだけの人生ではなく、生き生きとした生活と幸せを掴むことが出来ます。

 若い方なら、自分自身の好きな仕事や家庭のために、また隣人のために、生きる目的も見いだしやすいです。生き甲斐を見いだすことは、日々の積み重ねです。近代の日本の労働条件は乱れてきています。しかしながら、ハッキリとした目的を持って取り組むなら、困難は乗り切れます。時にはその困難に打ち死枯れそうにも成りますが、あなたが真剣に立ち向かい取り組みなら、それらを見ている隣人が助けを・・知恵を授けてくれます。その背後には、神はあなたを支え守っておられます。

神は自由を私たちに与えてくださいました。その自由な中から、神が喜ぶ、また隣人が喜ぶ、自分も満足、平安を得られる人生の目的を持ちましょう。

神は私たちがこの世において、エデンの園のように過ごすこと、神との交流を望んでおられます。 そのことを望む人々には、今まで知らなかった道、人生の目的を発見できます。あなた様の幸せのステップが益々豊かに成りますように。

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 神の形に似せて創られた。

神はこのように、人をご自身の形に創造された。創世記1;27

私たち人間は、神に愛される存在として創造されました。 何の意味もなく存在を許されているのではありません。 生きてるだけでも、神の目から尊くて存在価値があるのです。

病気から植物人間と言われる方もおられるでしょうけれど、確かに看病することは大変ですし、安楽死を望む方もおられるでしょう。 安楽死で楽になるのは残された家族ですが、亡くなった後の悲しみはもっと苦しいです。

今から30年前の事です。私の妻が癌になって死の宣告を受けた時期があります。それも生きているからこそ、望みがありました。!! 生きている事に価値がありました。私に取っては生きている限り愛する事の目的でした。

神はアダムとエバをエデンの園を守るように命じられました。エデンの園には一つの川が湧き出て通ってエデンの園を潤していました。 その川は4つに別れ出ていました。

一つの川の名前はピション=成長という意味。 ハラビ=希望という台地を潤していました。 

第二の川はギフォン=溢れ打ち破ると言う意味。クシュ=祝福という台地を潤して流れていました。

第3の川はヒデクル=代々という意味。 アシュルの東を流れていました。

第四の川はユーフラテス-増し加えられると言う意味

エデンは喜びと言う意味です。 神は私たちに素晴らしい生きてゆくための環境を与えられるのです。 今、あなたには不満があるかも知れません、しかし、神を求めて、あなたの与えられているエデンを守り耕すなら幸せは必ず来ます。だたし、神との契約を守らないといけません。 食べてはいけない実のみがあったように。それは自由と服従いう名の契約の中です。


  神は、肥沃な川の流れの塵<チリ>から人を創られた。

『神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻に息を吹き込まれた。そこで、人は生き物になった。』聖書 創世記2:7

 このようにして最初の人アダムは神様の手によって、神様の形に似せて造られました。

日本、ギリシャの神話などでは、神と人の血縁関係を伝える場合が多いです。聖書の人間観は、神によって造られ、血縁関係はないのです。しかし、神の息(霊)を吹き込まれたことによって、神に等しい霊的なの存在となりました。 それは人間以外にはなく、他のの動物とは一線を別け隔てています。ここに人間の尊厳性と微弱性が在ります。

神によって造られた多数の動物とは違い、神の霊を吹き込まれた者として、寵愛を受ける存在なのです。

一人でいたアダムに助けてとして、彼を深い眠りに落とし入れた神は、彼のあばら骨から女、エバ<血肉という意味>を造られました。 

前記の豊かな川の中に有ったチリ、鉱物ミネラル成分が、私たちの身体の元になっています。アダム以外の人間は、その母の胎の中で、まるで土を練る上げるようにして形が造られて生まれます。 『男はその父母を離れ、妻と結び会い、二人は一体となり・・』創世記2:24 神は結婚することを、子供を作る事を願われ祝福されました。

人間はその存在そのものが、神から見て尊い存在なのです。

 神は一人のように思われがちですが、聖書では3つの人格をひつとの神としています。

創世記1:26には 我々に似るように人を造ろうと語ったと書かれています。 聖書の神の概念です。

創造の父なる神、子供成る人格の神、キリスト。そして聖霊成る人格の神、それは私たちの助けてとしての神様、聖書では追求してはいませんが、私個人的には、どうしても母のような存在助け手をどうしても創造してしまいます。聖書で神の呼び名は、原語古代へブル語ではいくつかの呼び名があります。絶対口に出来ない神聖な呼び名でした。 そのために、なじみやすい別名で表現をしたこともあり、一人称や三人称で聖書に記されました。

聖書はモーゼがシナイの山で、神エホバに遭遇したときに、この創世記を記しました。聖霊の助けによってのちに、聖書は66巻に纏められました。 世代や時代を超えても目的は一つで、、私たちの救いとキリストの栄光です。 聖書に記されて、消えていた歴史、遺跡なども、あり得ないと思われても、考古学発掘が進んでいくと、実際に発見されたという事実が、聖書の正しさを知る事が出来ます。

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