この言葉の重みと、とりなしの言葉と祝福の言葉。
創12:1 主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。
創世記の一つの中心的な物語。神からのメッセージの幕がこの12章から始まります。一人の男が、神の目にとまり、呼び出され召しを受けるまでのロングストーリーの幕開けです。
彼アブラハムの経験する、またその行動に隠されている神様との契約、神の愛の姿と形と教え等をが学び取れることが多く隠されているアブラハムの生涯です。彼の経験を、それぞれの生活に適用していくならば、大きな神の恵みと力を得るようになると確信します。
アナザ・ストーリー アブラハムの信仰に望みを!
私が始めてこの御言葉を、身をもって知った出来事。
17歳の<昭和30年代>時でした。とても思いやりの愛に溢れたカナダ人のスレーニー宣教師からでした。(私はキリストの救いを受けて救われたのは14歳でした。)
スレーニー宣教師は、冒頭の御言葉 創世記12章1節の言葉から、日本に宣教に行く決心をなさったと話されました。その話しをなさった後、私に語りかけてきました。
「あなたも将来。両親を離れ遠い外国に行きキリストの話をするようになる気がするよ。
貴方のために、とりなしの祈りをしていると、神様からの分からない特別な思いが、私の心に湧いてきましたから・・。」と話されました。
17歳だった私にはとてつもなく想像が付きませんでした。将来は結婚したら、両親と一緒に住みたいし・・外国?言葉も話せないし? 今はコックの見習いをしているし。将来の夢はレストランを持つことだから・・スレニー宣教師の言葉は、当時の私自身にはピ~ンとは来ませんでした。
宣教師は「私は貴方のために、ズーと祈りますよ。貴方のこの言葉を心に留めて将来を祈って見ては如何でしょうか?」語って下さいました。それから2~3年後、仕事の都合で、その教会を離れて別な町の教会に・・
時折は、その宣教師の自宅には遊びに行き交わり、交流をしていました。
カナダの教会からの遣わされていた任期が終えられ帰国なさいました。それから、20年後、未だお若いときでしたが、急病で亡くなられたことが残念です。
私はその後、コック料理の修業のために幾つかの職場を変わり、また結婚。結婚生活が10年あまり、妻の病死で終わりました。傷心の心癒やすために、パリに行き、現地採用で、日本商社マンの独身寮の賄い作りをしました。その仕事ぶりが認められた? イラクに派遣されました。 コプト教のクリスチャンと交流と仕事も一緒にしました。イスラムの人達とも仕事を通じて仲良くなりました。親しくなると、キリストの話しも出来るようになりました。 アラーの神は、エホバでもありアブラハムの神だからと、私の証 キリストのを良く聞いてくれました。
イスマエルの神と同じだからと・・
私自身は、失いかけていた信仰を、イラクのメソポタミア砂漠で神に出会い、信仰を取り戻しました。砂漠に立ち上がる火の柱など聖書の世界の不思議をこの目で見ること以外に、肉声のように感じた、神からの言葉を聞くことも出来ました。火の柱が立ち上った砂漠に興味から見に行き、強い臨在というか不思議な人の気配(イラクの砂漠の午後9時頃、人は普通は居ないのですが) 気を失っていた中ですが・・。
画像は私自身の30歳代
聖書に書いて有った下記の言葉を下記の、気を失うようなおぼろげ中で聞きました。
イザヤ59:1 見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。59:2 あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。
神に対しての何故ですかが?神様に抱いていた疑問が吹き飛びました。イラクからフランス・アルジェリア カナダと転々としました。12年間でした。 父の死に目にも会えませんでした。
母がアルツハイマー記憶喪失になりました。癒やしを求めて4年近く、神の恵みで回復するという奇跡も体験。徐々に献身へと導かれていきました。
神学校を卒業してからは、海外宣教にも機会を与えられました。 ルーマニアからの帰国中継地点のハンガリーの駅の階段で、明日が日曜日だけれど、礼拝する場所が分からないと祈っていたら、あるハンガリー人夫人に声をかけられました。私が頭を垂れて祈る姿に気持ちが動いたそうです。ホームレスが途方に暮れているように見えたとも・・夫人は気になって声をかけて頂きました。
理由を伝えると。自宅に招き食事を提供してくださり。私の紹介する教会にに行きましょうと語って下さいました。
午前中には婦人の所属教会で証をして、午後の教会では1000名近い会衆につたない英語で福音と癒やし、救いの関係をメッセージすることが出来ました。癒やしを宣言すると、心臓に問題があった人が癒やされたと報告を受けマッシュた。
終わった後、ふと前記のカナダ人宣教師の言葉と、とりなしの祈りを思い起こしたのでした。
祈って下さった宣教師は既に亡くなっておられましたが・・実現したと思いました。17歳の時に語られたさりげない言葉が、35年後に実現しました。
愛を持って長く長く時間をかけてのとりなしの祈りは実現すると・・おもいました。さりげなく愛ある長期間のとりなしが重要です。教会はとりなし合う、祈り合う人々の集まる所です。
特定の方へのとりなしの力・祈りには 、神とその人・個人の間に入っ履、短期中期 長期にわたってとりなして励まして、注意や警告して下さり方が本物の預言者、とりなし手だと思います。
集会で次々と預言する、預言者もおられます。その場だけで「預言します。」と言うのではなく、長い時間のとりなしが不可欠だと思います。 集会で特別予言を受けたとしても、実現するか しないか 吟味が絶対不可欠。
預言されて事に対して、とりなしの祈り手を依頼することも大切。預言集会で預言されることの中に、貴方が一度も祈った事の無い預言があった場合は切り離してもよいと思います。しかし、後になって実現する可能性も含まれる場合もあります。新しいことを言われた場合は、継続して吟味の祈りをしても良いと思います。
いずれにしても、貴方の祈りと賜物が預言実現には有効作用。加味してきます。一片のタレントや夢・使命感が無い事を預言された場合は、その預言を疑っても良いと思います。
偽預言にはご注意を!!
よくよく預言には注意と祈りと、預言の達成には、あなたの隣人かた、とりなしの祈りを依頼することです。 預言の基本は神の愛と祈りです。
事前に『あなたはどの様な事を祈りたい?予言が受けたいのですか?」と聞いてから聞いた預言をするには注意してください。それは預言と言うよりは占いに相当します。
神からの啓示 使命 愛を受けたら、前向きに吟味しつつ、第一歩を踏み出すことです。アブラハムのように・・。
神キリストからの多くの祝福があなたにありますように。
2014年3月22日土曜日
2014年3月5日水曜日
@ NO1 創世記の覚え書き。
今まで各1章ずつ書いて、バベルの塔の記録まで来ました。
もう一度。繰り返してポイントを繰り返してみました。
生きる目的、生き甲斐を持とう。
初めに神は天と地を創造した。 聖書 創世記1章1節
神はこのように、人をご自分の形に創造された。神の形に男と女を彼らを創造された。
神はまた、彼らを祝福し、このように仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。・・全ての生き物を支配せよ。』 創世記1:27~28
神は7日間で天地を創られて、人を神の形に似せて作られました。
またエデンの園を設けて、人に住まいを与え、食べ物も豊かに与えられました。
人は創造の神の守りの中で、安息に生活が出来ます。また神様と交わり会話楽しむ存在でした。 人には必ず、安息できる場所があります。 また神から託された生き方と同時に目的があります。 現代になっても、その事には代わりはありません。 エデンの園は、現代からは見せなくなりました。しかし、神は同じように、私たちに対して願っておられます。
人々は必ず、安息する場所が必要ですし、人生を豊かに生きる目的が必要です。必ずしも経済的に恵まれることばかりが、豊かな人生というのではありません。生き生きとした人生を生きるためには、神との交流は必要です。また人生の目的、使命を持つことが大切です。高齢になっても、同じです。 比較的に、日本人は高齢になると、自分が死を迎える事だけを考え始めますが、本来は高齢であっても、『私は神によって生かされている。』という考え方を持つなら、死を待つだけの人生ではなく、生き生きとした生活と幸せを掴むことが出来ます。
若い方なら、自分自身の好きな仕事や家庭のために、また隣人のために、生きる目的も見いだしやすいです。生き甲斐を見いだすことは、日々の積み重ねです。近代の日本の労働条件は乱れてきています。しかしながら、ハッキリとした目的を持って取り組むなら、困難は乗り切れます。時にはその困難に打ち死枯れそうにも成りますが、あなたが真剣に立ち向かい取り組みなら、それらを見ている隣人が助けを・・知恵を授けてくれます。その背後には、神はあなたを支え守っておられます。
神は自由を私たちに与えてくださいました。その自由な中から、神が喜ぶ、また隣人が喜ぶ、自分も満足、平安を得られる人生の目的を持ちましょう。
神は私たちがこの世において、エデンの園のように過ごすこと、神との交流を望んでおられます。 そのことを望む人々には、今まで知らなかった道、人生の目的を発見できます。あなた様の幸せのステップが益々豊かに成りますように。
***********
神の形に似せて創られた。
神はこのように、人をご自身の形に創造された。創世記1;27
私たち人間は、神に愛される存在として創造されました。 何の意味もなく存在を許されているのではありません。 生きてるだけでも、神の目から尊くて存在価値があるのです。
病気から植物人間と言われる方もおられるでしょうけれど、確かに看病することは大変ですし、安楽死を望む方もおられるでしょう。 安楽死で楽になるのは残された家族ですが、亡くなった後の悲しみはもっと苦しいです。
今から30年前の事です。私の妻が癌になって死の宣告を受けた時期があります。それも生きているからこそ、望みがありました。!! 生きている事に価値がありました。私に取っては生きている限り愛する事の目的でした。
神はアダムとエバをエデンの園を守るように命じられました。エデンの園には一つの川が湧き出て通ってエデンの園を潤していました。 その川は4つに別れ出ていました。
一つの川の名前はピション=成長という意味。 ハラビ=希望という台地を潤していました。
第二の川はギフォン=溢れ打ち破ると言う意味。クシュ=祝福という台地を潤して流れていました。
第3の川はヒデクル=代々という意味。 アシュルの東を流れていました。
第四の川はユーフラテス-増し加えられると言う意味
エデンは喜びと言う意味です。 神は私たちに素晴らしい生きてゆくための環境を与えられるのです。 今、あなたには不満があるかも知れません、しかし、神を求めて、あなたの与えられているエデンを守り耕すなら幸せは必ず来ます。だたし、神との契約を守らないといけません。 食べてはいけない実のみがあったように。それは自由と服従いう名の契約の中です。
神は、肥沃な川の流れの塵<チリ>から人を創られた。
『神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻に息を吹き込まれた。そこで、人は生き物になった。』聖書 創世記2:7
このようにして最初の人アダムは神様の手によって、神様の形に似せて造られました。
日本、ギリシャの神話などでは、神と人の血縁関係を伝える場合が多いです。聖書の人間観は、神によって造られ、血縁関係はないのです。しかし、神の息(霊)を吹き込まれたことによって、神に等しい霊的なの存在となりました。 それは人間以外にはなく、他のの動物とは一線を別け隔てています。ここに人間の尊厳性と微弱性が在ります。
神によって造られた多数の動物とは違い、神の霊を吹き込まれた者として、寵愛を受ける存在なのです。
一人でいたアダムに助けてとして、彼を深い眠りに落とし入れた神は、彼のあばら骨から女、エバ<血肉という意味>を造られました。
前記の豊かな川の中に有ったチリ、鉱物ミネラル成分が、私たちの身体の元になっています。アダム以外の人間は、その母の胎の中で、まるで土を練る上げるようにして形が造られて生まれます。 『男はその父母を離れ、妻と結び会い、二人は一体となり・・』創世記2:24 神は結婚することを、子供を作る事を願われ祝福されました。
人間はその存在そのものが、神から見て尊い存在なのです。
神は一人のように思われがちですが、聖書では3つの人格をひつとの神としています。
創世記1:26には 我々に似るように人を造ろうと語ったと書かれています。 聖書の神の概念です。
創造の父なる神、子供成る人格の神、キリスト。そして聖霊成る人格の神、それは私たちの助けてとしての神様、聖書では追求してはいませんが、私個人的には、どうしても母のような存在助け手をどうしても創造してしまいます。聖書で神の呼び名は、原語古代へブル語ではいくつかの呼び名があります。絶対口に出来ない神聖な呼び名でした。 そのために、なじみやすい別名で表現をしたこともあり、一人称や三人称で聖書に記されました。
聖書はモーゼがシナイの山で、神エホバに遭遇したときに、この創世記を記しました。聖霊の助けによってのちに、聖書は66巻に纏められました。 世代や時代を超えても目的は一つで、、私たちの救いとキリストの栄光です。 聖書に記されて、消えていた歴史、遺跡なども、あり得ないと思われても、考古学発掘が進んでいくと、実際に発見されたという事実が、聖書の正しさを知る事が出来ます。
もう一度。繰り返してポイントを繰り返してみました。
生きる目的、生き甲斐を持とう。
初めに神は天と地を創造した。 聖書 創世記1章1節
神はこのように、人をご自分の形に創造された。神の形に男と女を彼らを創造された。
神はまた、彼らを祝福し、このように仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。・・全ての生き物を支配せよ。』 創世記1:27~28
神は7日間で天地を創られて、人を神の形に似せて作られました。
またエデンの園を設けて、人に住まいを与え、食べ物も豊かに与えられました。
人は創造の神の守りの中で、安息に生活が出来ます。また神様と交わり会話楽しむ存在でした。 人には必ず、安息できる場所があります。 また神から託された生き方と同時に目的があります。 現代になっても、その事には代わりはありません。 エデンの園は、現代からは見せなくなりました。しかし、神は同じように、私たちに対して願っておられます。
人々は必ず、安息する場所が必要ですし、人生を豊かに生きる目的が必要です。必ずしも経済的に恵まれることばかりが、豊かな人生というのではありません。生き生きとした人生を生きるためには、神との交流は必要です。また人生の目的、使命を持つことが大切です。高齢になっても、同じです。 比較的に、日本人は高齢になると、自分が死を迎える事だけを考え始めますが、本来は高齢であっても、『私は神によって生かされている。』という考え方を持つなら、死を待つだけの人生ではなく、生き生きとした生活と幸せを掴むことが出来ます。
若い方なら、自分自身の好きな仕事や家庭のために、また隣人のために、生きる目的も見いだしやすいです。生き甲斐を見いだすことは、日々の積み重ねです。近代の日本の労働条件は乱れてきています。しかしながら、ハッキリとした目的を持って取り組むなら、困難は乗り切れます。時にはその困難に打ち死枯れそうにも成りますが、あなたが真剣に立ち向かい取り組みなら、それらを見ている隣人が助けを・・知恵を授けてくれます。その背後には、神はあなたを支え守っておられます。
神は自由を私たちに与えてくださいました。その自由な中から、神が喜ぶ、また隣人が喜ぶ、自分も満足、平安を得られる人生の目的を持ちましょう。
神は私たちがこの世において、エデンの園のように過ごすこと、神との交流を望んでおられます。 そのことを望む人々には、今まで知らなかった道、人生の目的を発見できます。あなた様の幸せのステップが益々豊かに成りますように。
***********
神の形に似せて創られた。
神はこのように、人をご自身の形に創造された。創世記1;27
私たち人間は、神に愛される存在として創造されました。 何の意味もなく存在を許されているのではありません。 生きてるだけでも、神の目から尊くて存在価値があるのです。
病気から植物人間と言われる方もおられるでしょうけれど、確かに看病することは大変ですし、安楽死を望む方もおられるでしょう。 安楽死で楽になるのは残された家族ですが、亡くなった後の悲しみはもっと苦しいです。
今から30年前の事です。私の妻が癌になって死の宣告を受けた時期があります。それも生きているからこそ、望みがありました。!! 生きている事に価値がありました。私に取っては生きている限り愛する事の目的でした。
神はアダムとエバをエデンの園を守るように命じられました。エデンの園には一つの川が湧き出て通ってエデンの園を潤していました。 その川は4つに別れ出ていました。
一つの川の名前はピション=成長という意味。 ハラビ=希望という台地を潤していました。
第二の川はギフォン=溢れ打ち破ると言う意味。クシュ=祝福という台地を潤して流れていました。
第3の川はヒデクル=代々という意味。 アシュルの東を流れていました。
第四の川はユーフラテス-増し加えられると言う意味
エデンは喜びと言う意味です。 神は私たちに素晴らしい生きてゆくための環境を与えられるのです。 今、あなたには不満があるかも知れません、しかし、神を求めて、あなたの与えられているエデンを守り耕すなら幸せは必ず来ます。だたし、神との契約を守らないといけません。 食べてはいけない実のみがあったように。それは自由と服従いう名の契約の中です。
神は、肥沃な川の流れの塵<チリ>から人を創られた。
『神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻に息を吹き込まれた。そこで、人は生き物になった。』聖書 創世記2:7
このようにして最初の人アダムは神様の手によって、神様の形に似せて造られました。
日本、ギリシャの神話などでは、神と人の血縁関係を伝える場合が多いです。聖書の人間観は、神によって造られ、血縁関係はないのです。しかし、神の息(霊)を吹き込まれたことによって、神に等しい霊的なの存在となりました。 それは人間以外にはなく、他のの動物とは一線を別け隔てています。ここに人間の尊厳性と微弱性が在ります。
神によって造られた多数の動物とは違い、神の霊を吹き込まれた者として、寵愛を受ける存在なのです。
一人でいたアダムに助けてとして、彼を深い眠りに落とし入れた神は、彼のあばら骨から女、エバ<血肉という意味>を造られました。
前記の豊かな川の中に有ったチリ、鉱物ミネラル成分が、私たちの身体の元になっています。アダム以外の人間は、その母の胎の中で、まるで土を練る上げるようにして形が造られて生まれます。 『男はその父母を離れ、妻と結び会い、二人は一体となり・・』創世記2:24 神は結婚することを、子供を作る事を願われ祝福されました。
人間はその存在そのものが、神から見て尊い存在なのです。
神は一人のように思われがちですが、聖書では3つの人格をひつとの神としています。
創世記1:26には 我々に似るように人を造ろうと語ったと書かれています。 聖書の神の概念です。
創造の父なる神、子供成る人格の神、キリスト。そして聖霊成る人格の神、それは私たちの助けてとしての神様、聖書では追求してはいませんが、私個人的には、どうしても母のような存在助け手をどうしても創造してしまいます。聖書で神の呼び名は、原語古代へブル語ではいくつかの呼び名があります。絶対口に出来ない神聖な呼び名でした。 そのために、なじみやすい別名で表現をしたこともあり、一人称や三人称で聖書に記されました。
聖書はモーゼがシナイの山で、神エホバに遭遇したときに、この創世記を記しました。聖霊の助けによってのちに、聖書は66巻に纏められました。 世代や時代を超えても目的は一つで、、私たちの救いとキリストの栄光です。 聖書に記されて、消えていた歴史、遺跡なども、あり得ないと思われても、考古学発掘が進んでいくと、実際に発見されたという事実が、聖書の正しさを知る事が出来ます。
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